兵庫県の観光地といえば国宝姫路城。
そして明石の子午線。
そんな姫路と明石に挟まれているのが加古川市です。
今回はその加古川の観光名所の紹介です。
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加古川市の概要
東播磨地方の中心部に位置する加古川市。1950年に始まり、水と緑に恵まれたまちで人々のより豊かな暮らしが育めるよう取り組んでいます。
海岸線には鉄鋼工場があり、播磨臨海工業地帯の一翼を担っています。
一方、内陸部には伝統を生かした靴下、建具など特色のある地場産業が営まれています。
また、国宝などを多数所蔵する鶴林寺などの神社仏閣や見事な眺望と自然が満喫できる高御位山など、加古川の清流と豊かな緑を擁した文化遺産の多いまちです。
また、四季折々の味覚が楽しめるみとろフルーツパーク・みとろ観光果樹園など、参加型の観光開発を推進しています。
そして、加古川といえば「かつめし」と言われるほど、かつめし人気が高まっていますが、その歴史は意外に古く、戦後間もない頃に加古川駅前の食堂で考案されたと言われています。
このように工業と地場産業、そして農業と発展してきた加古川の観光名所といえばどこになるのでしょうか。
加古川の観光名所
北山公園・西条古墳群・西条廃寺
国指定史跡の西条古墳群は前方後円墳の行者塚古墳、円墳の尼塚古墳、ホタテ貝式古墳の人塚古墳と3基の古墳で構成されているのが北山公園の古墳群です。
人塚古墳に隣接する西条廃寺は、奈良時代前期の壮大なもので、法隆寺式伽藍配置の市内最古の寺院跡です。
また平成7年(1995)・平成8年(1996)に行われた行者塚古墳の発掘調査では、多数の竜山石製の葺石や埴輪、朝鮮から伝来した馬具・鉄の材料である鉄テイなどの遺物が見つかったほか、3~4世紀頃の中国製と思われる国内最古級の金胴製の帯金具が出土し、大きな話題となりました。
日岡山公園
日岡山公園の一帯は日岡山古墳群と呼ばれ、日岡御陵をはじめとして5基の前方後円墳が分布しています。
35.8haの広大な敷地には、グラウンド・野球場・プールを完備したスポーツセンターや武道館があります。
また4月29日に行われる「花とみどりのフェスティバル」にはたくさんの人々が訪れます。
そして市内最大の花見スポット
日岡山公園は、毎年3月下旬~4月上旬になると、約1,000本の桜が一斉に咲き誇る市内最大のお花見エリアです。
またシーズン中の夜には、約330本のぼんぼりが点灯され、夜桜見物も楽しむことができます。
鹿児の庭
鹿児の庭は昭和48年に造られた、市役所前に広がる純日本式庭園です。
庭の中央線の頂上に十三重塔、そばに滝、下に池があり、花しょうぶ・つつじ・黒松などの草木が、庭の景観をいっそう引き立てています。
よく手入れされた園内では、花しょうぶ(6月上旬~中旬)やつつじ(4月~5月)、八重桜(4月)など、四季折々の花々を鑑賞できます。
また鯉が戯れる池の畔の東屋からは、水面の写る木々や風景が楽しめます。
浜の宮公園・浜宮天神社
浜の宮公園
は昔の加古の松原で、市の木「黒松」が群生する公園です。
15.9haの広い公園内にはグラウンド、手軽にジョギングが楽しめるトリムランニングコース、バレーボールコ-ト、ローンボールスコート、市民プール、自由広場があり、市民にとって大切なレクリエーションの場となっています。
そして公園の西北端には、菅原道真公を祀る浜宮天神社があります。
朱塗りの新しい社殿が美しく、また境内には菅公お手植の加古の浜松があります。
平木橋
平木橋は花崗岩のアーチとレンガを組み合わせた水路橋で、大正4年(1915)に神戸の淡河川と山田川から農業用水を引く疎水事業の一環として建造されました。
見どころとしては、石とレンガのコントラストが大変美しい橋です。
側面の石板には「HIRAKI AQUEDUCT BUILD SEPT 1915」と英字で刻まれており、近代土木遺産として歴史的な価値が高いことから、加古川市指定文化財となっています。
水管橋
水管橋は昭和55年に完成した、直径1.2m、全長426mの送水管2条を渡している工業用水送水管の橋です。
平荘湖や権現ダムの工業用水を右岸の東神吉町から左岸の加古川町へ渡し、臨海部の工業地帯へ1日に約2万トンを配水しています。
そして上は歩道橋になっていて自転車・歩行者専用の市道としても役立っています。
清流が美しい加古川の景観の中で、鮮やかなセルリアンブルーのアーチ型をしたこの橋は独特の存在感があります。
また加古川の夏の風物詩「加古川まつり花火大会」は水管橋付近より打ち上げられています。
周囲に遮るものがないため、360度どの方向からも観ることができます。
約5000発の花火を観ようと、市内外より約7万人の見物客が訪れ、東播磨随一の花火大会として知られています。
太閤岩
太閤岩
は加古川市西神吉町辻の北側の岩山にある岩。
秀吉が志方城を攻めたとき、ここに本陣を置き、この岩に腰をおろして軍兵の采配をとっていたと言い伝えられています。
この太閤岩からの眺望は素晴らしく、高砂の海、加古川全域、明石海峡大橋や淡路島、そして志方町方面を一望できます。
ちなみに秀吉が攻めた志方城主櫛橋伊定の娘は、黒田官兵衛の妻・光(てる/幸圓・こうえん)が生まれた櫛橋家の居城志方城があった場所です。
一夫多妻が一般的だった戦国時代において、官兵衛は生涯を通して光(てる)ただ一人を愛したといわれています。
宗佐の厄神さん(八幡神社)
こちらの八幡神社の祭神は息長足媛命(おきながたらしひめのみこと)、品陀別命(ほむだわけのみこと)、仲姫命(なかつひめのみこと)で天平勝宝年間に孝謙天皇のご願所として建てられました。
九州の宇佐八幡に向かう和気清麻呂が道鏡の家来に襲われたとき、一頭の大猪が現れ清麻呂を救ったという伝説があります。
それ以来、
厄除の大神様として崇拝されるようになり、“宗佐の厄神さん”と呼ばれています。
毎年2月18・19日には、各地から数万人の参拝者が厄払いに訪れる厄除大祭が開催されます。
期間中は多数の露店・植木市で賑わい、古くから播磨の三大祭りの一つとして数えられています。
鶴林寺(カクリンジ)
鶴林寺は589年、聖徳太子が16才の時、秦河勝(はたのかわかつ)に命じ仏教をひろめるための道場として建てられました。
釈迦三尊と四天王を祀り「四天王寺聖霊院」と称されたのがこの寺のはじまりといわれ、播磨の法隆寺とも呼ばれています。
平安時代の壁画が見つかった県下最古の木造建築物、国宝「太子堂」や、泥棒が盗み出し壊そうとしたら「アイタタ」という声が聞こえてきたため、改心したと伝えられている「銅造聖観音立像」など、多くの文化財が残されています。
ちなみに三重塔の屋根の四方に鬼瓦が乗せられています。
これはお寺ではよく見かける風景ですが、よく見ると南西側の鬼瓦だけが、なぜか三方に睨みを利かせている三方鬼瓦となっています。
その理由は、南西側が裏鬼門になっていて、魔除けのためではないかといわれています。
日岡神社(ヒオカジンジャ)
日岡神社
の主神は天伊佐々彦命(あめのいささひこのみこと)です。
景行天皇の皇后稲日大郎姫(いなびのおおいらつめ)が御懐妊された時、最初の皇子が大変難産だったため、七日七晩天伊佐々彦命が安産を祖神に祈願したところ、無事御出産されました。
このことから「安産の神様」としてその名を馳せ、播磨随一の大社となりました。
現在も安産祈願や御宮参りなど参拝者が絶えません。
社殿に向かって右側手前に日岡御陵への表参道があります。
日岡御陵に葬られた「稲日大郎姫命(いなびのおおいらつめのみこと)」は「大唯(おおうす)」と「小唯(おうす)」の双子の皇子を産みました。皇子の一人「小唯」は、のちに各地の豪族を平定した古代の英雄「倭健命」であるといわれています。
天下原の毘沙門さん(大歳神社)
天下原の毘沙門さん(大歳神社)は弘化3年(1846)に建てられたものといわれています。
天下原字鞍馬山の岩肌に彫刻された磨崖仏の毘沙門天がご本尊です。
神社の付近には樹木が茂り、急な石階段を上った拝殿付近から南を望むと、東神吉の町並みはもちろん、高砂の市街地や播磨灘に浮かぶ家島諸島の島々を見渡すことができます。
尾上神社・尾上の松(オノエジンジャ・オノエノマツ)
尾上神社
の祭神は、海の神様、住吉大明神です。
境内には謡曲「高砂」に謡われた相生霊松「尾上の松」があり、現在の松は8代目です。
国重要文化財の「尾上の鐘」も代表的な朝鮮鐘として有名です。
その「尾上の鐘」にはその昔、海賊に盗まれて海に沈められた後、漁師の手によって引き上げられ高野山に奉納されたが、鐘をつくたび「おのえへ、いの~」と聞こえたため、尾上神社に戻されたという伝説があります。
文化元年(1804)に摂州から播州に至る各地名所を図で著した播州名所巡覧図絵にも名所として紹介されており、一つの根から男松(黒松)と女松(赤松)が生えている姿は、相生の霊松として信仰を集めています。
さいごに
加古川は平坦な地形とのどかな風景が広がる地ですが、そこには古い歴史が刻んできた幾多の年月が眠っています。
その過去の歴史を感じながら観光を楽しむのも粋な旅になるんじゃないでしょうか。
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